Q 先 従 隗 始 こんにちは。 よろしくお願いいたします。 国語の教科書で「先 従 隗 始 」を習いました。書き下し文も読んだのですが、意味が分かりません(泣) 分かりやすいサイトあるいは解説お願いいたします。 よろしくお願いいたします。本文(白文・書き下し文) 燕人立太子平為君。 是為昭王。 弔死問生、卑辞厚幣、以招賢者。 問郭隗曰、 「斉因孤之国乱、而襲破燕。 孤極知燕小不足以報。 誠得賢士与共国、以雪先王之恥、 孤之こんにちは。よろしくお願いいたします。国語の教科書で「先 従 隗 始 」を習いました。書き下し文も読んだのですが、意味が分かりません(泣)分かりやすいサイトあるいは解説お願いいたします。よろしくお願いいたします。このサイトが
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先従隗始 書き下し文 燕昭王
先従隗始 書き下し文 燕昭王-昭王招賢者。隗① 曰 、古之君、有以千金使涓人求② 千里馬 者。買③ 死馬 骨五百金而返。④ 君怒 。涓人⑤ 曰 、⑥ 死馬 スラ 且 ツ 買 レ フ 之 ヲ 、況 ンヤ 生 ケル 者 ヲ 乎 。⑦ 馬今至矣 。不⑧ 期年 、千里馬至者三。今、王必欲致〈 A 〉、⑨ 先従隗始 。先ず隗より始めよ 解釈:事を始めるには、手近なことから始めよ。 大事を始めるには、小事から手をつけよ。 「 隗 のこと。 郭隗が昭王に賢臣の集め方を問われ、賢臣を招きたければ、まず私のような取り柄のない人間を重用してください、そうすれば自分よりすぐれた人物が次々と集まってくるでしょう、と答えたという故事から。 現在はそこから転じて
〈書き下し文〉 燕えん の 昭せう 王わう 破 燕は えん の 後のち に 於 いてお 位 くらゐ に 即 き、つ 身 をみ 卑ひく くし 幣へい を 厚あつ くし 以もつ て 賢けん 者じや を 招まね く。 郭かく 隗 くわい に 謂 い ひて 曰いは く、 斉せい 孤 こ の 国くに 乱みだ るるに 因 よ りて、 襲おそ ひて古典 漢文 「先従隗始」(まずかいよりはじめよ) 一番最初の、燕人太子平を立てて君と為す。 この部分を口語訳すると、「燕の国の役人達が太子の平を立てて王とした。今王誠欲致士、先従隗始、隗且見事、況賢於隗者乎。 書き下し文 今、王、誠に士を致さんと欲すれば、先ず隗より始めよ、隗すら且つ事(つか)えらる、況や隗より賢なる者をや。 原文の語訳 いま燕の昭王が賢臣を集めたいのであれば、まず(凡庸な私
蒙求和歌 第14第1話(1) 燕昭築台 校訂本文 燕昭築台 燕昭王、位に即きて、身を賤しくし、幣を厚くして、賢を礼し、文を好み給へり。郭隗を召して、師とす。 昭王、国に才智の人のなきことを歎き憂へ給ふに、郭隗、申していはく、「君、われをだにも、もてなし崇(あが)め給はば、『才先従隗始(まづかいよりはじめよ):「十八史略」の訓読文・書き下し文 先従隗始(まづかいよりはじめよ):「十八史略」の現代語訳・解説 隗が言うには、 「昔の王に、涓人に千金を持たせて買いに行かせた人がいました。隗より始めよ(かいよりはじめよ)とは。意味や解説、類語。《中国の戦国時代、郭隗 (かくかい) が燕 (えん) の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」燕策の
君怒。 涓人曰、 『死馬且買之、況生者乎。 馬今至矣。』 不期年、千里馬至者三。 今王必欲致士、先従隗始。 況賢於隗者、豈遠千里哉。」 於是昭王為隗改築宮、師事之。 於是士争趨燕。 〈書き下し文〉 死馬(しば)の骨を五百金に買ひて返る。先従隗始解説, 先従隗始・十八史略 現代語訳・書き下し文・読み方 先従隗始 ・ 「先従隗始」とは、「①優れた者を招きたいなら自分のような平凡な者を重く用いなさい、②大きな事業をするには手近な事から始めなさい、③何事もまず自分自身から始めなさい」という意味です。現代語訳 キーワード 先ず隗より始めよ,現代語訳,古典,漢文,古文,鶏口牛後 先ず隗より始めよ(まずかいよりはじめよ) 意味類語辞典 先従隗始・十八史略 現代語訳・書き下し文・読み方4 高校生 先ず隗より始めよのノート一覧 Clear
先従隗始 書き下し文 燕人太子平を立てて君と為す。 是れを昭王を為す。 以つて賢者を招く。 郭隗に問ひて曰はく、 「斉孤の国の乱るるに因りて、襲ひて燕を破る。 狐極めて燕の小にして以つて報ずるに足らざるを知る。 恥を雪ぐは、孤の願ひなり。 先生可なる者を視せ。にいて ひてにく。 (口語訳) まず隗から始めよ 燕の人々は太子の平を立てて君主とした。 これを昭王といった。 (昭王は)戦死者を弔い、生存者を見舞い、(人心の掌握に努め、)へりくだった言葉遣いをし、多くの礼物を用意して、賢者をしようとした。 (しかしその効果なく賢者が集まらなかったので)昭王は郭隗に問うて、「斉はわが国の混乱に先従隗始(まづかいよりはじめよ):「十八史略」の書き下し文・現代語訳・解説 先従隗始(まづかいよりはじめよ):「十八史略」のテスト 問1 次の言葉の意味を答えなさい。 (1):期年 (2):致
先ず隗より始めよ ―先従隗始― 原文(戦国策) 今王誠欲致士、先従隗始、隗且見事、況賢於隗者乎。 書き下し文 今、王、誠に士を致さんと欲すれば、先ず隗より始めよ、隗すら且つ事(つか)えらる、況や隗より賢なる者をや。 原文の語訳『先従隗始』 燕人、立太子平為君。 是為昭王。 弔死問生、卑辞厚幣、以招賢者。 問郭隗曰、 斉因孤之国乱、而襲破燕。 孤極知燕小不足以報。 誠得賢士与共国、以雪先王之恥、孤之願也。 先生視可者。 得身事之。 隗曰、 古之君、有以千金使涓人求千里このテキストでは、中国の書物「 戦国策 」の「燕人立太子平為君〜」から始まる部分の原文、書き下し文と現代語訳・口語訳、そして文法の解説を行っています。 戦国策の燕の章に記されたものですが、十八史略にも収録されています。 この故事は、「大きな事業や計画を始めるときには、まずは手近なところから始めるのがよい」などを意味することわざ「 隗
No 586 先従隗始 せんじゅうかいし 事を始めるには先ず言いだした者から実行せよというたとえです。 春秋時代、燕の昭王(BC312BC279)の時のお話です。 『十八史略』の口語訳を記載します。 招きました。 斉はわたしの国の混乱につけ込んで燕人太子平を立てて君と為す。 是れを昭王と為す。 燕の人たちは、皇太子の平を擁立して主君としました。 これを昭王という。 弔レヒ死ヲ問レヒ生ヲ、卑レクシ辞ヲ厚レクシテ幣ヲ、以テ招二ク賢者一ヲ。 死を弔(とむら)ひ生を問ひ、辞を卑(ひく)くし幣(へい)を厚くして、以て賢者を招く。 昭王は、戦死した者たちを弔い、生存者(負傷者先従隗始 現代語訳3 馬はすぐにやって来るでしょう。 』と。 まる一年も経たないうちに千里の馬が三頭もやって来ました。 もし、王がどうしても優れた人物を招き寄せたいと思うのなら、まず私からお始めください。 まして私より優れた人物は、どうして千里の道のりを遠いと思うでしょうか、いや、思わないでしょう。 」と。 そこで、昭王は郭隗のため
先従隗始の書き下し文についてです。 Clear 漢文 高校生 2年以上前 Rinka 先従隗始の書き下し文についてです。 自分でやってみたんですが、置き字とか読む順番とか合ってるか心配なので間違っているところがないか教えていただきたいです!戦国策燕策における、郭隗の以下の言葉から 「今王誠欲致士、先従隗始、隗且見事、況賢於隗者乎」 (今、王、誠に士を致さんと欲すれば、先ず隗より始めよ、隗すら且つ事(つか)えらる。況や隗より賢なる者をや) (解説)漢文「先従隗始」 年5月7日 ・2年漢文「先従隗始」①書き下し文 pdf 66KB pdfファイル *全1ページ ・2年漢文「先従隗始」②現代語訳 pdf 255KB pdfファイル *全1ページ ・できる範囲で、書き下し文と、現代語訳を作らせる。
日本大百科全書(ニッポニカ) 隗より始めよの用語解説 大事をなすには手近なことから着手せよとの意、転じて、いいだした者から始めよとの意。中国戦国時代、燕(えん)の昭王が天下に人材を求めたとき、遊説者の郭隗(かくかい)が王に「昔、王から名馬を求めてこいと千金を託された馬丁が先従隗始 燕は新しい王を迎え、国威を取り戻そうとしていた。 小国である燕を再建するには優秀な人材を揃えることが急務であった。 そこで、賢者の隗が昭王に進言した。 昔の王の話を持ち出す。 雑役夫に大金を与えて名馬を求めさせた。 雑役夫は大金の半分の金で死んだ馬の、しかも骨を買って帰ってきた。 当然王は怒った。 雑役夫は言った。今、古典で漢文の「先従隗始」をしています。それで、現代語訳が出来なくてインターネットでも色々と調べましたが、まず、文が違うことを発見しました。 こちらの教科書に載っているのは燕昭王、 Read 先従隗始 燕人立太子平為君。 是為昭王。
先従隗始(先づ隗より始めよ)① せっかく本が出るというのに、作品の更新が滞ったままでは、と、ちょっとやる気出します。 リクエストにお応えしています。 漢文です。 〈白文〉 燕人立太子平為君。 是為昭王。 弔死問生、卑辞厚幣、以招賢者意味 事を始めるには、自分からやりださなければならない。 人に言いつける前に自分が積極的に着手せよ、という意味。 「隗 (かい) 」は戦国 (せんごく) 時代の燕 (えん) の人で、郭隗 (かくかい) という人。 この句の意味は、現在では少し異なり、大事を始めるには、小事から手をつけよ、大事業には、呼び水となる小さなことから始めるのが先従隗始 燕の国の人々は太子平を擁立して君主とした。 これが昭王である。 戦死者を弔い生存者を見舞い、言葉づかいを丁寧にし、礼物を手厚くして、優れた人物を呼び寄せた。 郭隗に尋ねて言うには、「斉は私の国が乱れているのに乗じて、襲ってきて燕を破った。 私は燕が小国であり報復するのに力不足であることを十分承知している。 ぜひとも優れた